【設立年月日】
1990(平成2)年11月19日
新公益法人制度施行に伴い、2011(平成23)年4月1日公益財団法人に移行。
【目的】
この法人は、主としてアジア太平洋地域から我が国の大学等に留学する者に対し奨学援助を行い、もって我が国とアジア太平洋地域の諸国との友好親善に寄与することを目的とする。
【事業】
この法人は次の事業を行う。
1.外国人留学生に対する奨学金の支給
2.奨学金の支給を受ける外国人留学生に対する生活指導及び助言
3.その他この法人の目的を達成するために必要な事業
【事務局所在地】
〒260-0026 千葉県千葉市中央区千葉港5-45 葛棊t銀行内
5-45,ChibaMinato,Chuo-ku,Chiba,260-0026,Japan
Email : watanukisf@outlook.jp
Tel 043-306-8084
【設立の趣旨】
近時我が国への外来留学生、就中アジア太平洋地域の発展途上国より留学生の増加が顕著です。然るに我が国内の物価高や住宅事情から彼等の生活環境は経済的に厳しい状態にあります。これら私費留学生を経済的に支援し、将来、母国の指導的立場に立つ有為の人材を数多く育成することは、アジア太平洋地域における先進国として、我が国が果たすべき重要な役割であり、又、海外における我が国の理解増進に寄与するものと思われます。
戦後、日本経済の驚異的な発展は、恵まれた国際環境に負うところ大で、なかんずく平和と教育が大きな原動力となっています。旧千葉相互銀行は目覚しい成長を遂げ、平成元年、普銀転換して京葉銀行となりました。これを記念して同行中興の祖の1人である綿貫専太郎氏(千葉相互銀行元社長及び会長)が私財を提供し、京葉銀行の協力を得て、上記の趣旨を事業目的とする公益法人を設立しました。
故 綿貫専太郎氏は、教育に対して人一倍、熱い思いを抱いていました。故郷の千倉中学校の校舎が老朽化して困っていると聞いた時、その建設資金3億円を町に寄付したのも、この教育への思いからでした。また、米国コロンビア大学で苦学した長兄の話は、奨学財団設立の動機の一つとなっています。
1985年千倉町名誉町民第1号に選ばれ、1992年、落成した中学校校舎の正面玄関に銅像が建立されました。これも又、奨学財団の設立と並んで、その教育振興に対する熱情の象徴と言えるでしょう。
「世界平和は、人類が等しく高い知性を持ち、生活が豊かになることから生まれる。それを支えるのが教育である。」
これが綿貫専太郎氏の信念です。
綿貫国際奨学財団は、この信念を携えて、目的達成まで歩み続けます。
1990年11月、綿貫専太郎初代理事長の悲願でありました奨学財団が、文部省(現文部科学省)の認可を得て設立の運びとなりました。
以来30余年にわたり、アジア太平洋地域からの留学生への奨学金の支給を通じて、留学生の皆さんが安心して研究・勉学に専念できる環境づくりに真摯に取り組んでまいりました。
2023年度末までに実数で495名、延べで890名の奨学生に対し、総額で14億9千万円の奨学金の支給を行い、このうち205名の方が博士号を取得いたしました。
また、多くの奨学生が研究の成果を活かし、各大学や研究機関あるいはさまざまな企業において母国の発展や後進の指導・育成、さらには国際経済の担い手として大いに活躍・貢献をされております。
私どものこのような活動に対し、2010年11月、永年にわたり国際交流に貢献したとして、千葉県より千葉県功労者表彰を受賞いたしました。
また、2011年3月、新公益法人制度に基づく移行認定を受け、2011年4月1日、公益財団法人として新たにスタートをすることができました。
永年にわたりこのような活動を続けてこられましたのも、多くの財団関係者並びに各大学の留学生担当部署の方々や毎年優秀な学生を推薦していただいている先生方のご支援、ご協力の賜物と、心から感謝を申し上げます。
さて、近年における経済の急速なグローバル化など、経済環境や留学生を取り巻く状況は、財団が設立された当時とは比較にならないほど大きく変容してきております。
変化を敏感に読み取り、グローバルな視点で将来を見据え、行動していくことが求められる時代になってきているように思われます。
私どもは、このような時代・環境の変化を認識しつつ、これからも財団設立の思いを忘れずに、高い志を持って来日し研究に取り組み、世界に羽ばたこうとする若者に対し支援を続けてまいりたいと考えております。
引き続き皆様方のご支援、ご協力をお願い申し上げます。
公益財団法人 綿貫国際奨学財団
理事長 綿貫弘一
私が生涯をささげた旧千葉相互銀行は、去る平成元年(1989年)に普銀転換を果たし、京葉銀行となりました。同行の発展と共に、銀行経営一筋の道を歩んできた者にとって、喜びと共に、日本経済という恵まれた環境に対する感謝も忘れてはならないと思います。
第二次世界大戦の荒廃から奇跡的な復興と発展を遂げた我が国を支えたものの一つに、数多くの各界指導者を育てたフルブライト基金等がありましたが、それ等と同様な趣旨の役割を、今度は私達がアジアの諸国に対して果たすべきだと考えておりました。
この度は、各方面のご支援やご協力により、財団の設立が出来、財団の運営についても京葉銀行の全面的支援を得ることとなりました。予てより抱いていた私の夢―アジア太平洋地域の発展途上国からの留学生に対する育英事業―が実現の運びとなり、この上の喜びはありません。
又、文部省の留学生10万人構想にいささかなりとも寄与できるものと信じます。留学生達がより良い環境の中で勉学に励み、この中から、21世紀のアジアを支える人材が1人でも多く育つことを心より願っております。
平成2年11月19日 理事長 綿貫 専太郎
故 綿貫
専太郎氏の経歴 |
同氏の賞歴 |
大正11年 |
千倉町立朝夷高等小学校卒業 |
昭和48年 |
藍綬褒章受章 |
昭和47年 |
叶逞t相互銀行代表取締役社長 |
昭和50年 |
紺綬褒章受章 |
昭和55年 |
叶逞t相互銀行取締役会長 |
昭和55年 |
勲四等旭日小綬章受章 |
昭和59年 |
叶逞t相互銀行相談役 |
昭和60年 |
千倉町名誉町民の称号授与 |
平成元年 |
葛棊t銀行相談役 |
昭和61年 |
紺綬褒章受章 |
平成2年 |
財団法人綿貫国際奨学財団設立 |
平成4年 |
千倉町に功労者として銅像が建立 |
平成8年 |
逝去 |
平成6年 |
文部大臣感謝状授与 |
私が生涯をささげた旧千葉相互銀行は、去る平成元年(1989年)に普銀転換を果たし、京葉銀行となりました。同行の発展と共に、銀行経営一筋の道を歩んできた者にとって、喜びと共に、日本経済という恵まれた環境に対する感謝も忘れてはならないと思います。
第二次世界大戦の荒廃から奇跡的な復興と発展を遂げた我が国を支えたものの一つに、数多くの各界指導者を育てたフルブライト基金等がありましたが、それ等と同様な趣旨の役割を今度は私達がアジアの諸国に対して果たすべきだと考えておりました。
この度は、各方面のご支援やご協力により、財団の設立が出来、財団の運営についても京葉銀行の全面的支援を得ることとなりました。予てより抱いていた私の夢―アジア太平洋地域の発展途上国からの留学生に対する育英事業―が実現の運びとなり、この上の喜びはありません。
留学生達がより良い環境の中で勉学に励み、この中から、21世紀のアジアを支える人材が一人でも多く育つことを心より願っております。 平成2年11月19日 綿貫 専太郎
明治41年(1908)〜平成8年(1996) 昭和47年に叶逞t相互銀行(現京葉銀行)の社長となり、昭和55年会長、昭和59年相談役と歴任。一貫して金融の道を歩み、地域経済の発展と京葉銀行の興隆に尽力した。
昭和48年に藍綬褒章、昭和50年に紺綬褒章、昭和55年に勲四等旭日小綬章、昭和61年に再び紺綬褒章を受章。 昭和60年、千倉町名誉町民の称号が授与され、平成4年中学校校舎改築の功労者として銅像が建立される。
平成2年11月、綿貫国際奨学財団を設立。 平成6年4月、文部大臣感謝状を授与される。